阪神・山陽電車の旅①(大阪梅田~三宮・明石・姫路)
阪神・山陽電車旅①
<大阪~姫路・書写山(圓教寺)>
~2021年12月11日(土)~
今回は、「阪神・山陽 シーサイド1dayチケット」を使用して姫路へ。
事前に阪神梅田駅で購入していたフリーきっぷ(2,200円)。
この切符は、阪神大阪梅田・大阪難波~山陽姫路・網干間が1日乗り放題。
阪神大阪梅田駅から山陽姫路までの片道運賃が1,300円。
往復利用でお得になります。
朝に自宅を出る際に人身事故で阪神電車が運行されていない情報を知るも、阪神・大阪梅田駅へ。
06:46
予定の6時43分発・山陽姫路行き直通特急は運行されないので、JR大阪駅から快速網干行きに乗車。
本来は、阪神梅田06:43発→山陽姫路08:23着。
しかし、JRを利用してJR大阪駅06:46発→JR姫路08:22着。
姫路には、ほぼ予定していた同時間に到着。
JR新快速は、大阪から姫路まで1時間5分程ですが、快速列車は停車駅が新快速より多く、明石からは各駅停車のため1時間36分。
土曜休日の新快速は7時台後半から運行されているためこの時間帯は快速列車が最速。
ちなみに運賃は、
阪神大阪梅田→山陽姫路駅1,300円。
今回は、JR振替
JR大阪駅→JR姫路駅1,520円。
8時22分にJR姫路駅に到着。
ここからバスで書写山へ。
書写山へは、神姫バスが発行する「書写山ロープウェイセット券(1420円)」を神姫バス駅前案内所で購入。
このセットは、書写山までのバス往復乗車券と書写山ロープウェイの往復乗車券のセット券。(140円お得)
通常は、バス代往復560円、書写山ロープウェイ往復1,000円、計1,560円。
08:35
姫路駅10番乗場から書写山ロープウェイ行きバスに乗車。
途中には、県立大学・姫路高校に停車するため、女子高校生が20名程乗車し、車内の座席はほぼ埋まった感じでした。
約30分、着席しながら終点に到着。(09:04)
バスを降りるとすぐにロープウェイ乗り場があり、バスの乗客4~5名と車で来た人4名ぐらいが改札口で並び、10分後の出発を待っていました。
09:15
ロープウェイで約4分。
60人乗りの大型ゴンドラで山上駅へ。(09:19着)
標高371mの書寫山(しょしゃざん)。
山上には西国三十三所の圓教寺があります。
ロープウェイに乗車すると遠くには、淡路島・明石海峡大橋・家島諸島男鹿島・四国・大鳴門橋・小豆島などが望めますが、この日は快晴すぎて遠くは見えませんでした。
下を見ると菜の花畑に「照于一隅」の文字。
横から少し、分かりづらいので、帰りも撮影。
◆照于一隅◆ (しょうういちぐう)
「一隅(いちぐう)を照らす」という言葉は、天台宗を開かれた伝教大師最澄さまが書かれた『山家学生式』の冒頭にあります。
「一隅(いちぐう)とは、今、あなたがいる、その場所です。
あなたが、あなたの置かれている場所や立場で、ベストを尽くして照らしてください。
あなたが光れば、あなたのお隣も光ります。
町や社会が光ります。
小さな光が集まって、日本を、世界を、やがて地球を照らします。
あなたの一隅から世界を照らしましょう!
一人ひとりが輝きあい、手をつなぐことができれば、みんなが幸せになり、すばらしい世界が生まれます。」
伝教大師最澄さまの精神が宿る言葉です。
「天台宗一隅を照らす運動ホームページ」より
<文字制作>
11月27日(土)〜28日(日)の2日間
<作業者>
・ゆめ菜の花プロジェクト2022
・東洋大学附属姫路高校生
山上駅から2~3分歩くと圓教寺志納所があります。
ここで、入山志納金500円を支払い書写山へ。
志納所から魔尼殿までは、約20分(1km)。
この間、特別志納金500円をプラスすると送迎車で、魔尼殿近くまで乗車できますが、今回は徒歩。
歩いていると送迎車が戻ってきてました。(左下のワゴン車)
ロープウェイの乗客10名程の7割が徒歩。
道は森林の中の山道で上り下り。
左右には西国33箇所の仏像が33体並んでいます。
鐘を鳴らして、参道の山道を登ると瀬戸内海と姫路の街並みが見える場所がありましたが、霞ではっきり見えませんでした。
その後、仁王門を通過。(9:36)
30分程歩き、円教寺魔尼殿に到着。(09:51)
ここから先は、映画「ラストサムライ(トム・クルーズ・渡辺謙など出演)」のロケ地にもなった3つの堂(食堂・大講堂・常行堂)、奥之院の開山堂へと続きます。
他にも色々なロケ地として使用されています。
・軍師官兵衛
(2014年・大河ドラマ(第16話17話)
・映画「天地明察」
食堂・常行堂で安井算哲(岡田准一)と宮栖川友磨(市川染五朗)が京・鹿苑寺で碁を打つシーン
・映画「源氏物語 千年の謎」
・NHK大河ドラマ「武蔵-MUSASHI-」
・台湾映画(妻夫木聡さん出演)
09:53~10:04
目の前に舞台造りの摩尼殿が見えてきます。
966年(康保3)に性空上人が開き、「西の比叡山」とも呼ばれ、西国霊場として信仰場。
階段を上がると入り口があり、靴を脱いで中へ。
裏が岩山で、中腹に建っており、京都の清水寺本堂でも見られる懸造(舞台造)が特徴。
ここで御朱印を拝受。(直書き・300円)
~御朱印~
▽
<右>
▶文字 奉拝(ほうはい)
▶押印 西国二十七番
<中央>
▶文字 魔尼殿(まにでん)
▶押印 梵字・如意輪観音(にょいりんかんのん)
<左>
▶文字 圓教寺
▶押印
上)西国三十三所草創 1300年(特別印)
2017年1月1日~2022年3月31日 (特別印デザイン)
[上段文字]西国三十三所草創 1300年
[中央]ご本尊である如意輪観音の梵字
[その周り]四天王(多聞天 持国天、増長天、広目天)の梵字
[下段文字]書寫山圓教寺魔尼殿
下)書寫山圓教寺
~圓教寺・摩尼殿~
マニとは梵語の如意のこと。
天禄元年(970)創建。
火災焼失で昭和8年(1933)に再建。
本尊は六臂如意輪観世音菩薩で、この堂の創建前、天人が桜樹を礼拝するのを見て、上人が根のあるままの生木に観音像を刻まれました。
そのために岩山の中腹に舞台造りの建物となりました。
本尊六臂如意輪観世音菩薩は、1月18日の鬼追いの日に開扉されます。
国指定の重要文化財四天王立像もここに安置されています。
<書写山園教寺HPより>
摩尼殿から奥へ進むと、コの字型に並ぶ“三之堂”(大講堂・食堂・常行堂)が見えてきます。
辿り着く後方に姫路城主・本多家の墓所があります。
(敷地内立入禁止)
ここには、本多忠勝・忠政・政朝・政長・忠国の5棟の堂があります。
<以下、現地案内板より>
本多家は江戸時代、初期と中期の二度、姫路城主になりました。
忠政・政長・忠国の3人が姫路城主です。
忠政は、池田家のあとをうけて1617(元和3)年、桑名より姫路に移り、城を整備したり船場川の舟場を開いた城主です。
政朝は、忠政の二男で、あとをつぎました。忠国は、二度目の本多家城主で、1682(天和2)年に福島より入封しました。
忠勝は、忠政の父で平八郎と称し、幼少より家康に仕え徳川四天王の一人。
政長は政朝の子で、大和郡山城主となりました。
堂のない大きな2基の五輪塔は、忠政の子・忠刻(ただとき)の孫・幸千代の墓です。
忠刻は大阪落城後の千姫と結婚し、姫路で暮らしましたが、幸千代が3歳で死去、忠刻も31歳で没し、ここに葬られました。
忠刻の墓のうしろには、殉職した宮本三木之助と岩原牛之助、三木之介に殉死した宮田角兵衛の墓が並んでいます。
五棟の堂は、江戸時代の廟建築の推移を知るのに重要な建物で、昭和45年に兵庫県指定文化財になっています。
大講堂・食堂・常行堂がコの字型に並ぶ“三之堂”へ。
(10:10~10:30)
映画『ラストサムライ』や大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケ地としても有名な場所です。
(右から、大講堂・食堂・常行堂)
~圓教寺・食堂~
食堂(じきどう)のみ内部が公開。
1階の写経道場で、トム・クルーズ・渡辺謙さんのシーンの紹介写真がありました。
2階は、食堂本尊(僧形文殊菩薩像)などの寺宝が展示。
2階軒下から見た常行堂。
下の床(木)が、ビシビシと鳴っていました。
<以下、圓教寺HPより>
本来は、修行僧の寝食のための建物。
承安四年(1174)の創建。
本尊は、僧形文殊菩薩で後白河法皇の勅願で創建。
二階建築も珍しく長さ約40メートル(別名長堂)においても他に類を見ないものである。
未完成のまま、数百年放置されたものを昭和38年の解体修理で完成の形にされた。
現在1階に写経道場、2階が寺宝の展示館となっています。
(国指定重要文化財)
~圓教寺・大講堂(本堂)~
三之堂(コの字型)にある大講堂(本堂)。
内部は立入禁止のため正面の階段を少し上がり、賽銭箱までの拝観。
御朱印は、食堂で拝受。(直書き・300円)
~御朱印~
右上には、花山帝勅願の印。
(花山法皇の勅願が創建したことから)
<以下、圓教寺HPより>
圓教寺の本堂に当たる堂で、お経の講義や論議が行われる学問と修行の場。
室町中期の建物で、食堂、常行堂とともにコの字型に立ち並んで「三之堂」(みつのどう)を形成している。
内部は、内・外陣に区切られており、内陣には釈迦三尊像(中央が釈迦如来、右が文殊、左が普賢菩薩)が安置されている。
(国重要文化財)
食堂では、薬師堂の御朱印も頂けます。
薬師堂(根本堂)は、少し離れているので帰りに寄りました。
~圓教寺・薬師堂(根本堂)~
本堂から少し離れた場所にある薬師堂。
圓教寺に現存する最古の建物。
参拝道沿いでは無いので見逃す可能性があります。
御朱印は、食堂で拝受。(直書き・300円)
~御朱印~
<以下、圓教寺HPより>
鎌倉時代の建物で、天竺様式(大仏様の手法)を取り入れた。
圓教寺に現存する建物の中で最古のもの。
(兵庫県指定文化財)
~圓教寺・開山堂~
食堂と大講堂の間から裏に向かい、2~3分で奥之院が見えてきます。
ここには、開山堂、護法堂、不動堂、護法堂 拝殿があり、圓教寺の最奥にあります。
<開山堂>
<開山堂内>
◆開山堂◆
圓教寺開山の性空上人をまつる堂。
書寫山一千年の歴史のシンボルとして灯明が燃え続け朝夕欠かさず勤行がおこなわれている圓教寺奥之院の中核。
現在の建物は、江戸初期の開山堂建築の代表作。
軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻のうち西北隅の一つは、重さに耐えかねて逃げ出したと言う伝説は有名。
(国指定重要文化財)
<護法堂>
◆護法堂◆
奥之院の開山堂前にある二つの小さな神社。
向かって右が乙天社、左が若天社。
書寫山の鎮守で開山の性空上人に付き添って仕えたという乙天(不動尊の化身)と若天(毘沙門天の化身)の二童子をまつっている。
同寸同型の春日造りで小規模ながら細部の手法に優れ室町末期の神社建築の特色をよく表している。
(国指定重要文化財)
<不動堂>
◆不動堂◆
不動堂は延宝年中(1673~81)に建てられ、元禄10年(1697)に大経所を合わせた際に改修された建物です。
宝形造、銅板葺、桁行2間、梁間2間、白木造、正面開口部には花頭窓が採用されています。
内部には乙天護法童子の本地仏である不動明王が安置されています。
<護法堂 拝殿>
こちらは、立ち入り禁止でした。
◆護法堂 拝殿◆
奥之院の広場を挟んで護法堂と向かい合って建っている。
開山堂参籠の行者の、護法堂への勤行、礼拝のための建物。
寛文に建立された鳥居が護法堂には残っているが、それ以前護法堂には土塀が張り巡らされ、唐破風の門があり、扉は閉ざされていた。
桃山時代の建築物で別名「弁慶の学問所」で知られている。
(国指定重要文化財)
ロープウェイから摩尼殿、三つの堂を立ち寄り、奥の院(開山堂)まで参拝&御朱印などで約1時間かかりました。
建物の四隅の力士の彫刻のひとつが無いと言われています。
軒下の力士の彫刻がありましたが、知らなかったら見逃す可能性があります。
ここで、御朱印を拝受。(直書き・300円)
~御朱印~
漢字版とチベット語版がありました。
写真は、漢字版。
<以下、圓教寺HPより>
圓教寺開山の性空上人をまつる堂。
書寫山一千年の歴史のシンボルとして灯明が燃え続け朝夕欠かさず勤行がおこなわれている圓教寺奥之院の中核。
現在の建物は、江戸初期の開山堂建築の代表作。
軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻のうち西北隅の一つは、重さに耐えかねて逃げ出したと言う伝説は有名。
(国指定重要文化財)
~御朱印~
開山堂でチベット語の御朱印を拝受。(直書き・300円)
国内で授与される外国語の御朱印は、円教寺と西方寺(長野県)のチベット語の御朱印ぐらいのようです。
御朱印を頂いた窓口の上には、チベット国旗が掲げられていました。
チベット仏教を学んだチベット僧侶服に身を包む職員の奥田剛さん。
1994年から2年半、チベットやネパール、インドの寺や聖地を巡り、1998年にネパールにあるチベット語の語学学校に入学。
インドでチベット仏教を学び、二つの学問寺で計13年間の勉学後、4年目で出家。
2016年2月に円教寺職員になり3月からチベット語の御朱印を開始。
GWなどには、1日に300人以上が御朱印を求めたようです。
今回は待ち時間なしで、直筆記帳して頂きました。
最初から最後まで無言でした。
一応、受付は午前9時から午後4時15分(10/11以降は午後3時半)。
基本的に第1・3金曜日と第2・4木曜日、金曜日の午前中は休みのようです。
開山堂の参拝を終え再び、ロープウェイ乗り場へ。
(10:55~11:25)
帰り道は、下り道が多く、30分程で乗り場に到着。
途中には、薬師堂に立ち寄りました。
<薬師堂>
◆薬師堂◆◆
鎌倉時代の建物で、天竺様式(大仏様の手法)を取り入れた。
圓教寺に現存する建物の中で最古のもの。
根本堂。
(兵庫県指定文化財)
周辺には姫路城主・松平直基(なおもと)の墓所がありました。
階段を上がり、中を覗いてみました。
<以下、現地案内板より>
松平直基は、徳川家康の孫にあたります(家康二男、秀康の第五子)。
もと出羽国の山形城にいましたが、1648(慶安)年西国探第職として播磨国の姫路城主を命じられました。
しかし、山形から姫路へ移封の途中、江戸で発病し姫路城に入らず亡くなり、遺骨は相模国(神奈川県)の最乗寺に葬られました。
のちになって、直基の子・直矩が姫路城主になってから1670(寛文10)年に分骨し、ここ書写山に墓所をつくりました。
帰り道沿いに閉門されている妙光院があり、ここは西坂参道から圓教寺へ向かうと最初に通る塔頭でした。
~妙光院~
創建は不詳。
当時は妙光坊と称し壽量院の北側にありました。
明応4年(1495)、鎮永が再興し寺号を妙光院に改称。
明治時代初頭に発令された神仏分離令やその後吹き荒れた廃仏毀釈運動により次第に衰退し明治末期には堂宇が取り壊され本尊も移されました。
その後、安養院跡地に再興され本尊である阿弥陀三尊像を迎え入れています。
11:30
書写山ロープウェイに乗車。
下に到着すると11時34分発のバスが出て行き、1時間に3本の次のバスを待つことに。
11:49
バスで姫路駅方面へ。
書写山は、昼前になると参道を歩く人も多く、午前中の早めがおすすめです。
<続 阪神・山陽電車の旅②へ>
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