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山陰旅②【松江~石見銀山・大田市】

山陰旅(2日目)
<松江~石見銀山・大田市>

~2021年11月18日(木)~

2日目の旅は、松江から。

ホテルの朝食は、弁当。
朝からフロントへ行き、小さな弁当を頂き部屋で食べました。
お湯を沸かし、弁当に付いていた粉末のすまし汁と共に。
コーヒーもフロント横で無料でいただけました。



窓からは宍道湖のしじみ漁の船も見えました。



08:10
宿泊先のホテルをチェックアウト。



ホテルから徒歩10分ぐらいで松江城へ。



島根県庁(三之丸跡)からの千鳥橋(御廊下橋)は工事中でした。



島根県庁前には、1964年に設置された岸清一像が建っていました。
日本のスポーツ発展に尽力した人。
オリンピックの選手団団長やIOC委員などを務め、弁護士・政治家だったようです。



再び戻り大手木戸門跡入り口から入ることに。
甲冑姿の方が居られたので撮影依頼。



ポーズを撮って頂き、SNS投稿の許可も承諾。

その後、ぐるっと右から迂回しながら水手門跡・北之門跡から本丸に。



全国に12城しかない現存天守のひとつの松江城は2015年に国宝に指定。
2007年に来ていますが、天守閣内の展示物に国宝の決め手になった関係資料などが展示されていただけで時に変わりはありませんでした。
天守入場料(680円)は、「松江・出雲ミニぐるりんパス」の提示で入城。

朝9時過ぎですが、ちらほら観光客が訪れていましたが、天守閣最上階に到着した際に下を見ると大勢の修学旅行生が来ていました。
遠くには、宍道湖も見えていました。



<天守閣・最上階(パノラマ撮影)>



~現存天守(12城)~
・弘前城 【青森県】
・松本城 【長野県】(国宝)
・丸岡城 【福井県】[現存最古]
・犬山城 【愛知県】(国宝)
・彦根城 【滋賀県】(国宝)
・姫路城 【兵庫県】(国宝)
・松江城 【島根県】(国宝)
・備中松山城【岡山県】
・丸亀城 【香川県】
・松山城 【愛媛県】
・宇和島城【愛媛県】
・高知城 【高知県】

~松江城~
・別名 千鳥城
・城郭構造 輪郭連郭複合式平山城
・天守構造 複合式望楼型 4重5階地下1階(木造 1607年築 現存)
・築城主 堀尾忠氏
・築城年 1611年(慶長16年)
・主な城主 堀尾氏、京極氏、松平氏
・廃城年 1871年(明治4年)

登閣記念に登城印を購入。



約30分ほど本丸・天守閣を見た後、二ノ門跡へ。
この付近(二の丸)に松江神社がありました。



参拝。



参拝後、社務所にて御朱印を拝受。(直筆・300円)



境内社・福徳稲荷神社が、すぐ横にありました。



稲荷神社なのでキツネがお出迎え。



砂のような造りの狐さんが左右に。



奥には社。



こちらの御朱印は、松江神社社務所で拝受(書置き・300円)。



デザインは、境内のキツネが描かれていました。

松江神社の境内を振り返ると狛犬。
左側はマスクをしていません。



右側は、マスクを着用。



~松江神社~
主祭神・松平直政(松江松平家初代藩主)
合祀神・徳川家康(東照宮)
配祀神・松平治郷(松平家七代藩主)
配祀神・堀尾吉晴(松江開府の祖)
創建  明治10年(1877年)楽山神社
改名  明治32年(1899年)松江神社
明治十年に旧松江藩の人々によって、川津村(現松江市西川津町)楽山に松平直政公を御祭神として楽山神社が創建。
しかし、寛永五年(1628年)堀尾忠晴公朝酌村西尾(現松江市西尾町)に創建した東照宮を明治三十二年に合祀し当地に御遷座松江神社と改称。
又昭和六年に松江開府の祖・堀尾吉晴公、松江藩中興の名主・不昧流茶道始祖松平治郷(不昧)公を配祀し今日に至っています。
本殿は寛永五年(1628年)、拝殿は寛文元年(1661)建造の権現造り、手水舎は寛永十六年(1639年)建築。

松江城・松江神社を後にして、次は堀川遊覧船へ。



松江城のお堀を約45分で遊覧する「ぐるっと松江 堀川めぐり」。
乗船料1,500円は、「松江・出雲ミニぐるりんパス」の提示でOK。



9時半頃に大手前の乗船場で手続きを行い、15分程待ち乗船。

09:45
屋形船には、先週コタツが設置。



出発後に船の紹介。
途中で、橋の下を通る際に屋根を下げるので、その体験が行われました。
ここまで下げます。



いざ出航!



<武家屋敷(右側)周辺>



個性的な橋が17個あります。(★屋根を下げる橋)

[乗船場] 大手前広場乗船場(スタート)
 1.北惣門橋
 2.新橋
[乗船場] ふれあい広場・乗船場
 2.新橋
 3.稲荷橋
 4.亀田橋
 5.緑樹橋
 6.花園橋
 7.うべや橋★
 8.幸橋
 9.京橋
[乗船場] カラコロ広場・乗船場
 10.東京橋
 11.栄橋
 12.甲部橋★
 13.新米子橋★
 14.米子橋
 15.普門院橋★
 16.北堀橋
 17.宇賀橋
 1.北惣門橋
[乗船場] 大手前広場乗船場(ゴール)

コタツ机に屈む程低い橋を数か所通るアトラクション付き。

★うべや橋。



天井を低く降ろし、左右を擦りながら前進。



★甲部橋



※屋根を下げて通過する4橋・うべや橋・甲部橋・新米子橋・普門院橋

一番低い★普門院橋を通過。



★新米子橋



途中「ふれあい広場」と「カラコロ広場」で乗船可能。
今回は、カラコロ広場では修学旅行生(兵庫県温泉町からの中学生)6人と男女のカップル2名が加わり、満員近いお客さんを乗せて京橋川・米子川・北田川と渡っていきました。

住宅エリアもあり、マイクスイッチOFFで紹介する場面もありましたが、のんびりお堀の遊覧ができました。
ちなみに、船から天守閣が見えるのは最後の発着場手前に曲がる橋の前からだけです。



カラコロ広場で出発時に駆け込み乗車のカップル2名の乗船待ちで、5分程遅く乗船場に帰還。(所要時間50分・通常45分)
最初はわたし一人の乗船でしたが、カラコロ広場乗船場で修学旅行生(兵庫県温泉町からの中学生)6名が乗船、出航直後さらに2名がかけ乗り、少し遅れ気味で出発地点に戻りました。



今回は他も「松江・出雲ミニぐるりんパス」を使って見学できるところもありましたが、次の目的地・八重垣神社へ。

お城周辺(県民会館前バス停)から、1時間に1本だけ直接行けるバスがありますが、松江駅始発のバスもあるので、30分余裕を持たせ八重垣神社に早めに到着してゆっくり参拝することに。



10:50
県民会館前から松江行の路線バスに乗車。



定刻は10時44分発ですが、6分遅れで乗車。
10時59分松江駅に到着



11:11
八重垣神社を経由する市立病院行バスに乗車。
車内は、10名以上の女性客が乗車。他に地元民も5-6名。
11時27分、八重垣神社に到着。
ちなみに、この路線バス(松江市内)の運賃は、「松江・出雲ミニぐるりんパス」の提示だけで乗車できます。



この日は、七五三詣りで家族・親族の方が数組境内に参拝され、撮影も長時間カメラマンをつけて行動され、人の居ない撮影に時間を要しました。



恋愛成就の大神として知られるこの神社。
縁結び、良縁成就、夫婦円満など女性に人気のスポット。
パワースポットが境内奥にあります。



拝殿に参拝後、社務所横の神札授与所で御朱印帳を預け、後に御朱印を(直筆)を拝受。



今回は、境内奥にある奥の院の「鏡の池」での縁占いを。
事前に神札授与所で占い用紙(100円)を購入。



鏡の池に浮かべます。

浮かべた用紙の上に硬貨を乗せます。
 早く沈めば(15分以内)縁が早く
 遅く沈む(30分以上)と縁が遠く
 近くで沈むと身近な人
 遠くで沈むと遠方の人
と、ご縁があると伝えられています。

私もいざ!



 11時36分38秒 用紙&硬貨乗せて池へ
 11時45分24秒 用紙が沈んでいきました。



時間は、9分弱。→ 縁が早いようです!



ちなみに、占い用紙は水に浸けると文字が浮上。

占い結果は、
「何事も氣の持ちよう 南と東 吉」でした。

周りの方は、30分以上沈まない方が多いようで、私の用紙を見て「これ早い!もう沈む!」など、何故か私のだけ早く沈む結果でした。
隣の3名の女性は、まだ沈んでいませんでした。



帰りのバス時間に余裕を持たせ、30分後のバスも乗車できましたが、1時間の滞在時間でゆっくりできました。
(JR松江駅のバスは30分に1本しかありません)



池の奥には稲田姫命をお祀りする「天鏡神社」が鎮座しています。



~八重垣神社~
櫛稲田姫(クシナダヒメ)が、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の難を避けるために避難したといわれる場所。
最近は、恋愛成就の大神として知られるパワースポットで有名。
八岐大蛇退治で名高い素盞嗚尊(スサノヲノミコト)と、国の乙女の花と歌われた櫛名田比売命(クシナダヒメ)の夫婦が祭神。
ヤマタノオロチを退治する時、素盞嗚尊が櫛稲田姫を佐草の里の大杉(奥の院)を中心に八重垣を造って隠しました。
そして大蛇を退治して、日本最古の和歌といわれる「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」という喜びの歌を詠ったそうです。
この歌は、「出雲」の国名の由来です。
主祭神
 ・素盞嗚尊
 ・櫛稲田姫
 ・大己貴命
 ・青幡佐久佐日古命
創建 不明
郷社 明治5年(1872年)
佐久佐神社は八重垣神社を合祀改名
明治11年(1878年)八重垣神社

12:22
八重垣神社からバスで松江駅へ。



車内は参拝を終えた女性グループが4-5組。
12時45分、松江駅前に到着。



13:03
松江駅から特急(スーパーまつかぜ5号・益田行・自由席)に乗車。



松江駅を出発後、出雲市駅・大田市駅と最速列車。
自由席は、窓側が埋まるほどで少し空席がありました。
当初、出雲市に下車予定でしたが、このまま大田市へ。
13時57分、大田市駅に到着。



ここから世界遺産の石見銀山へ。



石見銀山は、2007年に世界遺産登録後1回訪問。
その際は、JR仁万駅からの路線バスで訪問。
(所要時間:大森代官所跡まで15分)

14:02
今回は、大田市駅前からバスに乗車。(所要時間26分)



この区間も「松江・出雲ミニぐるりんパス」の提示だけで乗車できます。
(運賃640円不要)
14時32分、定刻より4分遅れで大森代官所跡のバス停に到着。
(石見銀山のスタート地としてこのバス停で下車)

ここには、世界遺産に登録された2007年7月のすぐ後(10月)に訪問。
この時もこれから行く、龍源寺間歩(マブ:坑道)に行きました。
この時は、中型バス(石見交通)で大森代官所跡バス停から龍源寺間歩バス停がありましたが、地元住民との諸事情で廃止に!
その後は、徒歩かレンタサイクルで行くしかないですが、徒歩の場合は45分。
しかも行きは上り道。

世界遺産登録はされていますが、メインの観光地・龍源寺間歩が不便なのはマイナスポイントですね。

そこで、2021年4月から電気ゴルフカート型車両のぎんざんカート(石見銀山グリーンスローモビリティ)が運行。



最高時速20km。
大森代官所跡から終点の龍源寺間歩の手前まで24分。
料金は500円。
往路は、古い町並みを通り、龍源寺間歩入口まで。
復路は、間歩出口が入口と少し離れている「高橋家住宅」が始発で運賃400円。
街並み周辺のみは100円で乗車できます。
便利な乗り物はありますが、運行間隔は30分に1本程度。
しかも定員6名。
水曜日定休日。1日14便。
事前予約が無いため、運が良ければ乗車できる乗り物。

今回は、路線バスが少し遅れて大森代官所跡に到着していましたが、14時半発のカートが、目の前に通過したので、急いで後について行きました。



無事に、出発地点の大森代官所跡から(3人組年配男性グループと共)乗車。
古い大森の町の中をゆっくり走行。



3名は途中で下車しましたが、そこから二人の中年夫婦?が乗車。
ゆっくり走行し、ほぼ予定時刻に龍源寺間歩入口手前に到着。(14:54着)



運転手さん曰く、コスト面やシステム改善など問題点があるとのこと。
増便しても閑散期ではペイできないし!など。
便利でゆっくり街並みを走るので楽でしたが、確実に乗車できる保証がないのが問題点かも。
下車時に帰りの時刻(約30分後)を言っていただきましたが、前回同様下り道の遊歩道を散策しながら帰ったので「ぎんざんカート」には乗りませんでした。

15:00-15:28
龍源寺間歩は世界遺産・石見銀山遺跡の中で唯一、常時公開されている坑道。



入り口の上部には丸太が16本並べてあります。



これは16人の仏教修行者、“十六羅漢”に因んだものです。

間歩(マブ)とは・・・
鉱山の掘り口のこと

~龍源寺間歩~
長さ600m。
江戸時代中期に開発され、昭和18年閉山。(約230年間)
大久保間歩(870m)に次ぐ大坑道で、良質の銀鉱石が多く掘出されたようです。
17世紀前半の石見銀の産出量は年間38t。
世界の1/3を占有。
17世紀初頭(慶長年間から寛永年間)に銀の産出はピークでしたが、次第に減少。
坑内壁面には、ノミで当時掘り進んだ跡や排水用に垂直100mも掘られた竪坑などがライトアップされ、間歩内を見学できます。

<間歩から入口方面を振り返る>



観光客向けに足場も整備されています。
ヘルメットや懐中電灯なしで見学ができまが、背丈の高い人は頭に注意です。

途中の左右には掘られた跡が幾つもライトアップされています。



~ひおい坑~
岩石の隙間に板のように固まっている銀鉱脈を追って掘り進んだ小さな坑道



竪坑(排水坑)
龍源寺間歩に溜まった水を約100m下の永久坑道へ排水した所



ひおい坑



入口から約160m地点。
坑道は、左にカーブしながら195m地点で落盤のため塞がっています。



ここから奥は、高さ2m、幅約90cm。
江戸時代に掘られたもの。
先には進めれません。



ここから左に長さ116mの“栃畑谷新坑”があり、ここを抜けると、外への出口です。



普通に歩いてくると10分程で出口に到着します。
出口付近には休憩場があり、写真後方は管理棟の建物があります。



この日は、数十組の修学旅行生がガイドを伴い、石見銀山の道中・坑内でいましたが、騒がしい人も多数いました。
さらに、撮影中を邪魔する無知な複数のガイドにも遭遇。

出口を出ると、このような森林を歩きます。



しばらくすると右の山肌に長い階段が見えてきます。



ここには、佐毘売山神社がありました。



階段の登り、本堂近くまで。



ところが、本堂内改装中。
付近は工事の足場などがあり、内部では工事関係者が作業をしていました。
賽銭箱もなく、足場も悪いので戻ることに。




~佐毘売山神社~
さひめやまじんじゃ

島根県大田市大森町の石見銀山(大森銀山)の中に鎮座する神社。
祭神は金山彦命。
世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部。
全国一の規模の山神社で、特に拝殿の重層屋根は天領特有。
龍源寺間歩の出口から約200mほど離れたところにある神社で、急勾配の石段を上ると境内があります。
16世紀中頃に創建された鉱山の守り神で、精錬の神「金山彦命」を祀り、銀山に生きる人々の心のよりどころとして地元では親しみを込めて「山神さん」と呼ばれ、今も静かに石見銀山を見守っています。

以前来た時は、暗い坑内を早く通過して10分余りで終えましたが、今回は後続の修学旅行生のグループ数組に抜かれ、撮影もしながらゆっくり20分位間歩内に居たかと思います。
出口は山深く、入り口近くまで10分弱の山道を下ってきます。



その後、今回も45分ほど遊歩道を歩いてバス乗り場まで行くことに。
遊歩道はありますが、湿気のある落ち葉で足場は非常に悪かったです。



数組の修学旅行生グループと遭遇しながら大森地区の古い町並み方面へ。
途中には、帰りのぎんざんカート始発場所がありました。



高橋家住宅の乗車場所



さらに、道沿いには大小多数の間歩が番号を振られて残っています。
道沿いにある福神山間歩。



~福神山間歩~(説明板より)
この間歩(坑道)は、採掘にあたった山師個人が経営した「自分山」のものですが、一時期、代官川崎市之進(1767-78)のころには、代官所直営の「御直山」の坑道になったこともありました。
「御直山」は天保15年(1844)には23か所まで増えますが、「自分山」は、享保14年(1730)に55か所もあったものが、天保15年には9か所となってしまいます。
石見銀山には、主な鉱脈が32本あったと伝えられており、そこから岩盤の亀裂に沿って30cm前後の幅で鉱石を含んだ支脈が延びていました。
この間歩は坑口が3か所あって、上段の坑は空気抜き坑、下段の2坑は中でつながり、説明板のある道路の下2mほどのところを通って銀山川の下をくぐり、後ろにそびえる銀山の最高地点「仙ノ山」の方向に掘り進んだと伝えられ、「仙ノ山」の逆方向に向かって坑口が開いている珍しい間歩です。

福神山間歩は龍源寺間歩、釜屋間歩、新切間歩、大久保間歩、本間歩、新横相間歩と共に平成10年(1998)に国指定史跡に指定。
現在は危険な為、一般者の内部見学は不可。

さらに、遊歩道を歩くと途中右側に清水谷精錬所跡があるという看板が見えてきます。



少し登坂を上がると何か要塞のような建物跡が見えてきます。
ここが、清水谷精錬所跡(しみずだにせいれんしょあと)です。




~清水谷製錬所跡~(説明板より)
しみずだにせいれんしょあと

徳川幕府が崩壊し、明治時代になると、石見銀山では、一部の既存の間歩(坑道)を利用した地元の人たちによる小規模な採鉱(さいこう)がかろうじて続いていましたが、本格的な銀生産の再開は、明治19年(1886)に萩出身の藤田伝三郎(ふじたでんざぶろう)たちが起業(きぎょう)した大阪の藤田組(現在の同和鉱業株式会社の前身)による採掘権(借区権)の入手を待ちます。
藤田組は、仙ノ山(せんのやま)の南側の本谷地区の福石鉱床(ふくいしこうしょう)の金銀含有率と量に着目し、それによる銀生産を計画、明治27年(1894)武田恭作氏(当時東京帝国大学冶金学科学生)の設計による近代的な銀の製錬所の建設を開始し、20万円の巨費を投じて翌年に完成、4月から操業を開始しました。この製錬所には写真のような施設群があり、福石鉱床で採掘した原料の鉱石は、新たに掘削した金生坑(きんせいこう)と拡張した既存の蔵之間歩(くらのじょうまぶ)を通って製錬所の最上段までトロッコで運んでいた状況をうかがい知ることができます。
鉱石の品質が予想より悪く、また設備の銀の製錬能力も十分でなかったことから不採算(ふさいさん)となり、明治29年10月に、開始からわずか1年半で操業を停止しました。
その後、藤田組は柑子谷(こうじだに)に永久製錬所を新たに建設して、銅生産を中心に大正12年(1923)まで操業しました。

遊歩道から江戸時代の町並みが残る大森地区へ。



時間は、16時半過ぎ。
閑散とした通りを歩いていると郵便局(石見銀山大森郵便局)がありました。



風景印をお願いしました。



図柄は、五百羅漢、返り橋、大森代官所跡が描かれてます。

バスの時間は16時53分。
この次は最終の18時7分発。
17時を過ぎると辺りは暗くなり、郵便局から少し速足でバス乗り場へ。



無事に大森代官所跡のバス停に到着。
バス停周辺には、貸切のJRバスで多くの学生さんが広島方面へ帰っていきました。

16:53
大森代官所跡から大田市駅行きのバスに乗車。



終点の大田市駅まで乗車せず、今日の宿に近いバス停(大正東町)で下車。
(17時17分着)

この付近は、行き道と異なり帰りのバス停が一筋手前にあり、ホテルまで少し歩きました。
駅から歩くより短い距離です。

17時半に今日のホテル、スカイホテル大田へ。



今回のホテルは、じゃらんで予約。
プラン名は、美肌県しまねプラン
☆【美肌県しまねの地酒・県産米プレゼント】和朝食付き◇シングル

支払額は、5,000円。
これには、以下の1~2を利用して1,200円引。
1.じゃらん発行「11/2発行_スペシャルウィークが更にお得になる1000円分クーポン」
2.じゃらんポイント200ポイント(100円分)

通常は6,200円ですが、5,000円で宿泊できました。

~スカイホテル大田~



JR大田市駅から徒歩10分程にあるビジネスホテル。

<客室>



<客室>



<浴室>



今回は、翌日朝に行く大久保間歩ツアーのため、大田市で宿泊。
夕食は、居酒屋などが数店あるのみで、ご飯が食べれる店が周辺に無いので、10分程歩いたコンビニ弁当を購入。



今回は、地酒とお米が付いた「美肌県しまねプラン」を選択。



プレゼントが無いノーマルプランでも同金額。
受取り条件は、宿泊プランが5,000円以上。

当初2週間前の早割・食事なしで、5,000円以下(4,900円)で予約していましたが、じゃらんクーポン1,000円分+ポイント200円を利用して食事&プレゼント付きプラン(6,200円)に変更して宿泊。

早朝から石見銀山に行く方は、おすすめですが、コンビニも少し歩き、暗い夜道の歩道がデコボコなので要注意です。
多くの方は、車。
周辺・地元の仕事関係の方が泊まられていたようです。


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